闇の幻影・2

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闇の幻影



「目に気をつけな」
 マイラが言う。
 一歩踏み出した途端、強い日差しがユシアを直射する。まるで、闇が切り取られたようだった。闇に慣れたユシアの目には、光がまぶしすぎる。
「まやかしだな」
 横でアシュアの淡々とした声が、聞こえる。
「うん。これがあいつの最初の仕掛け。ユシア、大丈夫。目、つぶれたんじゃない」
 マイラが心配そうに、ユシアに聞く。
「大丈夫だと思う」
 そうっと両目を覆っていた手をどける。初めは目がしょぼついたが、少しずつ見えるようになってくる。
「村だ」
 最初に視界に入ってきた物を見て、少年は言った。闇の世界にこんな場所があったとは、思ってもみなかった。
「あんたのいる世界じゃないよ」
 マイラが教える。
「どういうこと」
「んと、あっちの世界とこっちの世界と重なっているけど、あっちの世界には、こっちの世界に触れられない。こっちの世界もあっちの世界に触れられないってこと」
「わからないよ」
「でも、そういうことだよ。ね、アシュア」
 うまく言えないマイラは、アシュアに説明を求める。だが、彼は上の空であいまいな返事をしただけで、村に行ってしまった。
「もうっ、冷たいんだから」
「マイラッ」
 ユシアは自分の両手を見て、悲鳴のような声をあげた。
「ぼくの手が透けてるっ」
 恐怖に襲われ、マイラの腕にしがみつく。それへ、マイラは冷静に言った。
「なにを言ってるの。ユシアは、ずっと透けてるよ。今まで気づかなかったの」
「だって、真っ暗なところにずっといたから」
「でも、あんた、闇の中でずっと蛍みたいに光ってたよ」
「ぼくは、幽霊なの。だから、殺されても死なないの」
 マイラは首をかしげて、ユシアを見た。
「違うと思うよ。よくわかんないけど」
「でも、こんなの人間じゃないよね」
「あのね、どうして人間じゃなけりゃ、いけないの。あたしも、アシュアも魔族だけど、そんなこと気にしやしないよ」
「そうだけどさ」
「じゃあ、気にするのをやめて、行こうよ。アシュアとはぐれるじゃない」
 村では、野良仕事をしている者が大勢いた。その中の一人とアシュアが話している。彼は話し終わると、マイラの方へやってきた。
「いくらおなかがすいてるからって、人間を食べちゃだめだからね」
 マイラが釘を刺す。
「ばか言え。人間なんかまずくて食べられるか。おれが食べるのは、魔物と魔族だけだ」
「共食いが好きなわけね。で、なにかわかったの」
 アシュアの目が輝いている。いい情報が聞けたのだろう。
「ここはまやかしだって言ったろ」
「なによ、それ」
「ついてくれば、わかる」
 アシュアは、うれしそうに歩きだした。

 


 初めはなにも起こらなかった。素朴な村人が野良仕事の手を休め、こちらに手を振ってくれる。ユシアも歓迎されていることが、うれしくなって両手で振りかえす。マイラに肘でこづかれた。
「ばかね。あの人たちには、あんたが見えないのよ」
「どうして」
「こっちの世界に、あんたがいないからって言ったでしょ」
 よくはわからないが、確かに村人はアシュアとマイラにしか目を向けていない。いきなりマイラに手を強く握られ、ユシアは驚いた。
「気をつけな。あんたの嫌いなヤツラが現れたよ」
 マイラが警告する。村人にまじって、目ばかりが爛々とした不健康そうな男達の姿が、ちらほらと見える。
 ヤツラだ。
 ユシアは思った。彼らの姿は普通の人間とたいして変わりはないが、ヤツラの隠されようもない独特の雰囲気と、血の匂いに飢えた残忍な顔つきですぐにわかる。日の光にさらされて、ヤツラの姿はぼんやりとしていた。皆それぞれの武器を持って、飛びかかる時を待っている。
 そんな中で、アシュアはのんびりと歌を歌い出した。その周りに村人が集まり、口々に歌をほめている。
「こんなときに、なにをやってるの」
 不安になって、マイラに聞く。
「見てりゃわかるよ。それより、自分の身を守らなくちゃね。あたしが見るなって言ったら、目を閉じるんだよ。見たら、死ぬからね」
「わかった」
 なにがなにやらわからないが、素直に応じる。
 少しずつ武器を構えたヤツラが、近づいてくる。逃げる道はない。どっちを向いてもヤツラがいる。それでも、アシュアは村人に歌を聞かせている。
「やめろ」
 ヤツラの一人が、声を上げた。なんの関係もない女に、剣をむけている。
「いますぐに歌をやめろ」
 アシュアは答えない。何事もないように、歌を続ける。村人も気づかない。そればかりか、剣を突き付けられた女も、うっとりと歌を聞いている。
 村人には、ヤツラが見えないんだとユシアは気づく。だが、マイラには見えるように、アシュアにも見えるはずだ。
「やめろっ。さもないと女を殺す」
 反応のないアシュアに業をにやし、ヤツラは叫んだ。ユシアが悲鳴を上げる。ゆっくりと、女の首が落ちていく。鮮血がその首の軌跡を描く。うっとりとした表情を残したまま、女は死んでいった。首がアシュア達の方へ転がる。悲鳴が上がってもよさそうなものだが、村人は気づきもしない。アシュアも歌をやめない。
「おい、もっと殺すぞ。それでもいいのか」
 ヤツラが動揺する。人質も当の相手が助けようとしなければ、なんの意味もない。
 ヤツラはアシュアを脅しながら、次々と村人を殺していった。村人は、悲鳴も抵抗もなく、ただ黙って殺されていく。アシュアの歌声だけが、辺りに響く。
「ねぇ、助けようよ」
 物陰に隠れていたユシアは、マイラの腕を引っ張った。
「しっ。今、動いたら、騒ぎになるよ。村人に騒がれたら事だからね」
 突如、村人が皆、糸の切れた人形のように崩おれた。ユシアは、殺されたのかと思ったが違った。至福の表情を浮かべて眠っている。倒れた人の中で、アシュアだけが立っていた。歌がやんでいる。
「殺したな」
 アシュアの冷ややかな声に、ヤツラが反射的に身をすくませる。
「逃げられると思うな」
 いつの間にか、アシュアの手に、抜き身が握られている。アシュアの動きは素早かった。たちまち、ヤツラの半分が切り倒される。ヤツラは、総崩れとなって逃げていく。
 しかし、光の中では、闇の世界にいたときのように闇に潜む姿をくらますことができない。追い詰められたヤツラが、マイラとユシアを取り囲む。彼女達なら、人質として役立つと思ったらしい。
「動くな」
 マイラに剣を突きつけ、アシュアに叫ぶ。今度は効果があった。アシュアがこちらをむく。
「あっは。つかまっちゃった」
 マイラが頭に手をあげる。
「見るなっ」
 有無を言わせぬマイラの声に、ユシアは目を閉じる。なにも物音はしなかった。
「いいよ」
 言われて目を開けると、マイラがターバンを巻き終えるところだった。ユシアは周りを見て、目を見張る。ヤツラは石の彫像と化していた。
「こうなると、食べようがないな」
 アシュアが、彫像のひとつをつついて言う。
「しょうがないでしょ。捕まっちゃったんだから」
「ぼけっとしているのが悪い」
「だって、アシュアがみんな倒すと思ってたんだもん。逃げられると思うななんて、かっこつけて、逃げたのがいるじゃない」
「後で捕まえる」
 アシュアはむっとして、ヤツラの一部だったものを拾いあげた。果物のようにぺろりと食べてしまう。
「先に行ってる」
 マイラがそっけなく言う。おぞましい食事をしだしたアシュアをおいて、二人は村を出た。

 


「いっぱい、死んじゃったね」
 死者を悼んで、ユシアが言う。
「それが村人のことだったら、誰も死んでないよ。ほら、見てごらん」
 マイラが指さす方向に、ばらばらになった村人の死体があった。それが動いている。頭が、腕が、ユシアのときのように、体に近づき融合していく。
「ねぇ、ぼくみたいに生き返るの」
「そうだよ。さっき、アシュアが歌ってたでしょ。あれは、眠りと不死の歌。だから、歌うのをやめなかったんだよ。最後まで歌わないと効き目ないからね」
「魔法なの」
 少年が目を見開いて尋ねる。ならば、ユシアも魔法のせいで生き返るのだろうか。
「それよりは科学的らしいけど、あんたはそう思ってな。あたしも説明できないから」
 どうでもいいことのように、マイラは答える。
 村を出ると遥か先に見えていた闇の壁が、目前にあった。闇の主は、仕掛けを変えたらしい。
「アシュアはしばらくヤツラを食べているだろうから、ここで待っていよう。ちゃんと食べてもらわないと、こっちの身が危ないからね」
 マイラは伸びをして言った。この言葉にユシアは目を丸くする。
「マイラも食べられそうになるの」
「うん。おなかがすいてると、手当たり次第に食べたくなるらしいよ。そういうときは、近くにいちゃだめだからね。ユシアも気をつけなよ」
「うん。でも、ぼくの場合、食べられたら、おなかの中で生き返っちゃんうじゃないかな」
「そうなったら、アシュアの方が死んじゃうかもね」
「そんなことしたくないよ」
 ユシアはアシュアの腹を突き破って出てくる自分を想像し、ぶるっと体を震わせた。
 しばらくして、村人に送られてアシュアがやってきた。
「いい歌だったね」
「また来てくれや」
 村であった惨事を知らない村人たちが、朗らかに言う。それへ、アシュアも愛想よく応じる。
「うまいことやったね」
 やってきたアシュアに、なかばあきれ顔のマイラが言う。
「ヤツラの彫像には、びっくりしたんじゃないの。なんて説明したの」
 興味津々で、アシュアに聞く。
「幸いなことに、説明せずにすんだ。今頃、彫像に気づいたろう」
 アシュアの言うとおり、村の方で騒ぎがおきた。一行は、村人に問いただされる前にと、急いで闇の中に入った。




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