闇の幻影
4 洞窟の外に出ると、空には星が輝いていた。 「あれっ。マイラといたときは、出れなかったのに」 おかしなことがあるものだと、ユシアはやってきた洞窟を振り返った。 ない。洞窟がなくなっている。 「大変だ。マイラがいたのかもしれないのに」 ユシアの声にアシュアが振り返る。 「闇の主に捕まったなら、いずれ会うだろう。逃げたなら二度と会わない。そのどちらかだ」 「逃げれたと思う」 「おれからか」 おもしろがっているようなアシュアの問い。 「違うよ。その闇の主って奴」 「捕まったろうな。悲鳴を聞いたような気がする」 「それって、いつ」 なにも聞かなかったユシアは、驚いて聞く。 「獲物を食らった後かな」 「獲物ってどこにいたの。あの白いやつのことじゃないでしょ」 「違う。洞窟にいたやつだ」 「そんなのいたのっ。それって、ぼくたちと別れてからのことなの」 アシュアは、立ち止まって考え込む。 「よく覚えてないな。頭が割れそうで走り回っていると、目の前に獲物がいて、やけぐいしたと思う」 どおりでなにも出てこなかったわけだと、ユシアは納得した。 マイラの言っていたとおり、本当に食い意地がはってるんだなぁとしみじみ思い、心の中でくすりと笑う。 「それから、子供になって脅えてたの」 アシュアの言う獲物のほうが、よっぽど怖かったんじゃないだろうか。 「らしいな。あの白いやつを食ってからしばらく、記憶がぼやけているが」 「酔っ払ってたものね」 「あれはうまかった」 舌なめずりをする。それを見てユシアはぞっとした。マイラが、自分たちも食べられる可能性があると言っていたことを思いだし、後ずさる。ユシアは少しだけ用心して、アシュアから少し離れたところを歩くことにした。
ここでは、空に星があり、満月も輝いている。 夜の空ってこんなんだろうな。星ってなんてきれいなんだろう。月がこんなに明るいなんて、なんて心が浮かれる光景なんだろう。 闇に慣れたユシアには、日の光よりも、月の光の方が、遥かになじみやすい。 それにしてもと、ユシアは前方に目をやった。ばかにアシュアの機嫌はいい。ときおり、軽く歌う声さえ聞こえる。アシュアはまだ酔っているんじゃないだろうかと、心配になった。また猫になって、どこかに走りだされては、たまったものではない。 それとも、ユシアがこんなに浮かれるのも、アシュアがこんなに機嫌がいいのも、罠なのだろうか。 「そうだ」 アシュアがユシアの疑問に答える。 「満月の夜は気が狂うからな。その力をここでは何倍にもしている。おまえはあまり左右されてないな」 「ちょっと、浮かれるぐらいかな。アシュアはかなり影響を受けてるんじゃないの。また猫になったりしないでよ」 「猫ね。猫なんかより今は」 謎めかすように言葉を切り、くくっと笑う。 「おもしろいことになりそうだ」 「ぼくはちっともそうは思わないよ」 いやな予感がして、アシュアからもっと距離をとる。 なんだか、たくさんの血を見そうな夜だな。浮かれ気分はもう消えていた。今頃、マイラはどうしているだろう。捕まってひどい目にあってなければいいけど。アシュアは、人質になっていれば、助けに行かなくとも、向こうからやってくると言っていた。それはそうだが、アシュアには本当にマイラを助ける気があるのだろうか。なんだか心配だ。そうなったら、自分ができるだけのことをしよう。なんていったって友達なんだから。
月明かりに照らされ、くっきりと闇に浮かび上がった城壁の前で、アシュアは立ち止まった。その壁の向こうから、浮かれはしゃぐ音が騒々しく聞こえる。 「入り口がないね」 ユシアが言う。どこかに門がないものかと見るが、城壁はまるでこの地を分断しているかのように長く果てしなく、それらしきものは見えない。 「どうするの」 アシュアは、城壁を見上げていた。城壁は、長さに見合った高さをしている。左右の端が見えないように、上の端も見えない。 「前も上もだめなら、下か」 故意に足音をさせながら、壁にそって歩きだす。すぐに、空洞を示す音が返ってきた。 「ここか」 地面を探ると、土をかぶせた戸が見つかった。鍵はかかっていない。引き開けると、中から暗闇に続く長い階段があった。なんの躊躇もなくアシュアは、その中に身を踊らせた。ユシアは、少し迷ってから後に続く。 数歩進んだとき、背後の戸が大きな音をたてて閉まり、ユシアはびくりとする。月の光が消え、暗闇となる。前方で、アシュアがぼんやりと光っているのが、唯一の救いだった。 階段の奥から、喧噪とむっとするような臭気が漂ってくる。長く狭い階段を降りる間、ユシアはなにか化け物がでるのではないかと、びくびくしたが、階段が終わり松明の灯された通路に出るまで、何にも出会わなかった。 通路に面していくつもの戸が並び、そのどれもから、にぎやかな喧噪、強い酒の匂い、きつい体臭、濁った空気などがもれだしている。アシュアはなんの警戒もなく、その前を通りすぎていく。ユシアもそれに続きながら、通り際に中をのぞいた。中は広場で、甲冑を着た二本足で立つ牛や馬、豚や羊などの家畜達が、酒や肉を片手に浮かれ騒いでいる。ときおり、通路にも奥からやってくる肉料理を持った女中姿の家畜に出会った。 「ちょっと、どいてっ」 女中が叫び、忙しそうに駆けて行く。ユシア達の存在に驚きもせず、自分の仕事にせいをだしている。 「危険ないみたいだね」 目新しい光景に目を見張りながら、ユシアは言った。 「でも、どこに罠があるのかな」 やがて、通路は厨房で行き止まりになった。その先にまた、通路が続いている。やはり、家畜がコック姿で料理に腕をふるっていた。 「うへっ」 コックがなにを料理しているのかを見て、ユシアは気分が悪くなった。まだ原型のままでまな板に乗っているのは、豚や牛、馬や羊だった。 「これって、共食いじゃないの」 そう言った言葉が聞こえてしまったのか、コックの一人がユシアの方へ向く。 怒らせちゃったかな。 ユシアの心配をよそに、そのコックは笑いらしきものを見て、できあがった料理を差し出した。 「食べるかい」 「いえ、けっこうです」 空腹を感じないこともあるが、今は食べること自体、気味悪く感じられた。コックは断られても気にするふうもなく、行ってしまう。 再び通路に出たところで、ユシアは、アシュアに話かけた。 「ねぇ、今のなんだと思う」 その返事は、獣のような低いうなり声だった。慌てて、食べられないように距離をとる。 もう空腹になったのかな。それとも満月のせいかな。 まだ、罠がなにかわからない。とにかく、アシュアを見失わない程度に距離をおく。 ほどなく通路は階段に変わり、何事もなく、再び頭上に満月があらわれた。 「おかしいの」 なんなく通路を出られてしまった。罠ではなかったのか。 「変だな」 手短にあった岩に腰を下ろし、アシュアも言った。さきほどの機嫌の悪さは、どこかへいってしまったようだ。 「門番どもは、満月に浮かれ宴会騒ぎ。だからといって素通りさせては門番の意味がない。うむ、そうか」 なにかに気づいたらしく、アシュアは立ち上がった。 「どうしたの」 好奇心が頭をもたげ、聞いてみる。 「門番は、くる者を拒むのではなく、出る者を拒むのだろう。その上、城壁も恐ろしく長く高い。この中に外に出ては困るものがあるに違いない。おそらく、外から来る者を食らうんだろうな」 「ええっ」 ユシアは叫んだ。 「それじゃあ、わざわざ罠に飛び込んだんじゃない」 「おれについてくるから、こういうことになる」 それはそうだが、他にどうしようもない。 「でもさ、アシュアだったら、反対に食べちゃうよね」 どうにか希望をみいだそうとして、言ってみる。 「どうかな」 意外なことに、自信のなさそうな声が返ってくる。 「なにそれ。勝つ自信ないの」 「相手もみないうちにわかるか。今わかっているのは、満月の力に気が狂ったなにかということだけだ。ついてこなくていいぞ」 さっさと歩きだす。 「そんなこと言ったって、一緒に行くしかないじゃない」 前方には、草原が広がっている。そして、後ろには城壁が立ち塞がっている。今、気が変わったとしても、戻りようがない。どういうわけか満月の夜だというのに、ユシアはどんどん気が滅入ってきた。
どこまで行っても草原に果てはなかった。行けども行けども、彼方に地平線があるばかり。背後も巨大な城壁が、立ち塞がったままだ。景色が少しも変わらない。かなりの時間がたったはずなのに、ずっと満月が上空で輝いている。 「あきがくるな」 アシュアが、いきなり乱暴に座り込んだ。満月のせいで気分が高揚し、攻撃的になっているというのに、それをぶつける対象が現れないとあって、かなりいらだってきている。 ユシアはそのようすを遠巻きに眺め、同じように座り込んだ。疲れてはいないが何もない草原でぼさっと立っていては、アシュアの攻撃の対象にされかねない。手に草が触れた。この世界では、ユシアも草や土に触ることができた。湿り気が多いのか、草が濡れている。地面に手をやると、かなりの水が染み出してきた。 「あれっ、ここ、ちょっと沈むよ」 歩いているときにはなんともなかったが、こうしてじっとしていると、少しずつ体が沈んでいく。 「ユシア、戻れっ」 アシュアが叫ぶ。驚いて立ち上がると、駆けてきたアシュアに抱え上げられた。ふわりと宙に浮く。 アシュアが飛びあがったのだ。下方では、轟きとともに地面がぱっくりと口を開ける。軽々と飛び越え着地すると、今度はずぶりと体が沈む。途端にユシアは、放り投げられた。堅い地面にぶつかり、頭をぶつける。 「いてて」 痛む頭を抱え振り向くと、すでにアシュアは半分沈んでいた。 「アシュアッ」 それへ、アシュアは陽気に手を振る。戦う対象ができてうれしいらしい。 「さすがに、これを食べる気にはならないな」 「なにをこんな時に」 助けに行こうとするのを、アシュアは制止する。 「くるな。すぐに終わる」 有無を言わせぬ口調に、ユシアは立ち止まった。すぐにアシュアは、地面に飲み込まれてしまう。地面が何事もなかったように静まり返り、残されたユシアはなすすべもなく、立ち尽くした。 どうしよう。 ユシアは、アシュアの沈んでいった場所を呆然と見つめた。 どうして、自分を犠牲にしてまで助けてくれたのだろう。洞窟の件を恩に感じているにしたって、ここまでやることないのに。ぼくだけじゃ、マイラもアシュアも助けることができない。いったい、どうすればいいの。 不意に地面が爆発した。ユシアは爆風に煽られ、ひっくり返る。アシュアの沈んだ辺りから、銀色の光が柱のように伸びる。もう一度、爆発がおきる。地面がえぐり取られ、土辺が舞い上がり雨のように降り注ぐ。 その中を銀色の炎が、意志ある者のように動き回っている。よく見るとその炎は、長細い体をした生き物だった。頭部らしき部分では、青い炎が二つ燃えている。 土の雨が止むと、後にはぽっかりとあいた大きな穴が残った。沼の部分がそっくり削りとられたのであろう。それは広範囲におよんでいる上に、かなり深い。炎の生き物はいなくなっていた。代わりにアシュアが立っている。 「満月の力で、気の触れた沼。力を使うわりに、腹がふくれん」 ぼやいて歩きだす。 「よかった。助かって」 ほっと安堵したユシアが、慌てて彼についていく。
夜空が消えた。満月も星もなくなる。急に視界を失って、穴を降りようとしていたユシアは足をすべらせて転げ落ちた。 また、世界が変わったんだ。 ユシアは痛い体をさすりながら、立ち上がった。幸い、アシュアの姿は見失っていない。前方でたたずんでいる。 動かない。 なにをしているのだろうと近づこうとして、ユシアはなにかに顔からぶつかった。 「いてっ」 手探りすると、そこに壁があった。それなのに、向こうにいるアシュアの姿が、はっきりと見える。壁が透けているのか、アシュアが壁を通しても見えるのかわからないが、とにかく、壁はユシアとアシュアを隔てている。 「アシュアッ」 叫んだが、アシュアは答えない。手探りで壁をたどると、切れている場所を見つけた。そこを進む。そして、また壁。今度は、左側があいている。 「迷路だ」 どうしようと立ち止まる。アシュアは、追いつくまで待っていてくれるだろうか。 「ユシア」 不意に暖かい手が肩に触れ、ユシアは飛び上がる。 「アシュア」 では、向こうに見える姿はなんなのだろう。 「鏡だ」 アシュアが言う。 「なんで、そんなことを」 ユシアの問いには答えず、少年の背中を押す。 「なに」 「先に行け。おれは鏡に姿が映る」 ユシアは、おとなしくそれに従った。アシュアの言うとおり迷路の奥に進むほど、たくさんの鏡にアシュアの姿が映り出されていく。なのに、ユシアの姿はひとつとして映らない。 「こんなことして、なんになるのかな」 確かに鏡の迷路は、歩きづらいだろう。だが、それだけだ。振り向くと、アシュアの姿はなかった。代わりに銀色の猫が鏡に映らないように、低い姿勢でついてくる。 「あれっ」 見回すとやはり青年のアシュアの姿が、たくさん鏡に映っている。しかし当人は猫で、そのうえ鏡に映らないようにしている。いったいどうなってるんだか。猫にせかされ足を速める。 抜けた。何事もなく。 本当に? 今では、すべての鏡にアシュアの姿が映っている。そのすべてがこちらを向いている。猫も迷路を抜けた。出口で、伸びをする。鏡に猫の尾がわずかに映った。 鏡の中のアシュアの姿が変わった。緑色の肌をした毛むくじゃらの手が、鏡の中に映った猫をひょいと持ち上げる。それと同時に本物の猫の方も、鏡に引き込まれた。 「アシュアッ」 ユシアは駆け寄り助け出そうと鏡を叩いた。鏡の中で、猫も出ようと必死に鏡を叩いている。 鏡のような複眼の目が顔の半分を占める化け物が、猫を捕まえようとやってくる。猫はひらりとかわすと、すばやく青年に姿を変えた。剣を構える。 化け物はアシュアより少し背が高いが、やせ細っているうえに武器もない。はたで見ていると、アシュアの方が優勢だ。それなのに、化け物はにぃっと牙を見せて笑った。アシュアに飛びかかる。 剣が横になぎ払われた。化け物の体を二分にする。化け物の鋭い爪が、アシュアをかすめる。アシュアから血が流れる。だが、化け物には、うけたはずの傷がない。 アシュアが負けちゃうっ。 ユシアは必死に鏡を叩くが、どうにもならない。どうにかできないものかと、辺りを探すがなにもない。ちょっと目を離した隙に、アシュアは血まみれになっていた。 化け物がアシュアに組みつく。アシュアは横転し、剣が手から離れた。アシュアが蹴りあげる。それを避け、化け物が立ち上がる。鋭い爪で、青年を串刺しにしようとする。それをアシュアは床を転がって避ける。 とどめとばかりの一撃をアシュアは蹴りあげて、化け物を弾き飛ばす。今度は化け物が転がり、剣を拾ったアシュアが奥へと駆けていく。鏡の中も外と同じ迷路になっていた。ただ、壁は半透明で、鏡にはなっていない。化け物も奥へと駆けていく。 ユシアのいる鏡からは見えなくなり、別の鏡に二人の姿が現れる。アシュアは身を沈め、化け物の足を払った。倒れると同時にアシュアがのしかかり、剣の刃ではなく柄でその目を狙う。化け物が間一髪で首を傾げ、むなしく床を叩く。甲高い音が辺りに響いた。 化け物は、目を守ろうとアシュアの腕と首に爪を立てる。その長い爪が肉に食い込み、貫通する。左手でそれをはずそうとしながらも、アシュアは剣を離さない。 ごぼっと、アシュアが化け物の顔に血を吐く。目が見えなくなった化け物が視界を取り戻そうと、首を押さえていた腕を外す。その一瞬、アシュアは左手に剣を持ち替え、化け物の目を力任せに叩いた。 ガラスの割れる音が響く。迷路の鏡が半分割れた。そして、もう一度。すべての鏡が粉々に砕ける。 迷路が消えると、血まみれのアシュアが現れた。地面にじっと横たわり、身じろぎもしない。 「アシュアッ」 近づくと、アシュアが目を開けた。右腕と首の出血が、とてもひどい。ユシアはそっと、頭を膝にのせた。アシュアがなにか言おうとし、血を吐いた。 「だめだよ。しゃべっちゃ」 それでも、アシュアは話そうとしている。口だけが動く。 「えっ、なに」 アシュアは、おいていけと言っていた。そして、力が抜けていった。
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