闇の幻影・7

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闇の幻影



 地面は光沢をもった平面のままだった。その上、つるつるとすべりやすくなり、歩くのが困難になってきた。一歩一歩、足を踏みしめながら、ゆっくりと歩く。
「世界、変わんないかなぁ」
 何度か転んで、マイラが文句を言う。その横をいつもと変わらぬ調子でアシュアが通り過ぎる。
「アシュアは、なんで、すべらないのよ」
 不思議に思ったマイラがアシュアの足元を見る。すべらないのもそのはず、アシュアはわずかに宙に浮いている。
「ずるいんだぁ、ちょっと手を貸してよ。油でも撒いたんじゃないの。ここ」
 立ち上がれずにじたばたとする。ユシアが手を貸すが、共に転ぶだけとなった。
「わっ、ほんとだ。起き上がれない」
 ユシアもじたばたとあがく。アシュアの姿がどんどん遠くなる。
「アシュア、ちょっと待ってぇ」
 マイラが叫ぶ。しかたなさそうに、アシュアが振り返る。
「無理に立ち上がらずに、そのまますべればいいだろう」
 マイラとユシアは、顔を見合わせた。なるほど、足を上げ手で勢いをつけるとおもしろいように滑る。
「おもしろいね」
「でも、かっこ悪いよ」
 手を動かせば動かすほど加速がついていく。アシュアに追いつき、二人は止まれないことに気づいた。アシュアのわきを通り過ぎたところで、二人とも襟首をつかまえられる。
「ぐえっ」
 いきおいがついていただけに、首がしまる。
「少しは後先を考えろ」
「だったら、もう少しましな止め方をしてよ」
 咳き込みながら、マイラが抗議する。
「ねぇ、床が解けてるみたい」
 ユシアが言う。ぬるぬるとしていた地面が、今はどろどろとしている。
「ええっ」
 マイラが驚いて、アシュアの足にしがみつこうとする。避けられて、転がる。
「薄情っ」
 悪態をつく。
「アシュアは浮かんでるからいいけど、あたしは沈んじゃうじゃないっ」
 ユシアも不安になって、アシュアを見上げる。
「そのほうがいいかもしれない」
 地面を見、アシュアが言う。
「なんですって、あたしなんか死んじゃってもいいっての」
「そうじゃないよ」
 アシュアではなく、ユシアが答えた。
「見てごらんよ」
 地面を指さす。
「なによ」
 見ると遥か下方に城らしきものが、おぼろげに見える。
「どちらが影か」
 アシュアが上と下を見比べて言う。ユシアもそれにならう。遥か上方にも、同じような城が逆さまに見える。
「どうなってんの。このままだと、あたし沈んじゃうんだけど。下が本物の城だったらいいけど、影だったら、解けた地面の中で溺れちゃうよ」
 アシュアは考えている。剣が音をたてる。
「アルドーラがなにか言いたいみたいだけど」
 ユシアが言う。
「気にするんじゃない」
 冷たく言い放つと、いきなり剣を抜いた。地面に突き立てる。まるでガラスにひびがはいるように、地面に亀裂が走る。それが遠くに走り、アシュアを中心に割れだした。
 地面が砕け、三人は落ちていった。くるりと上下感覚が反転し、今までは上だった方へ、落下する。
「いったい、なにがどうなったのよ」
 城の屋上へひらりと着地するなり、マイラは言った。ユシアは受け身がとれず激突しそうになったが、先についていたアシュアに抱きとめられ事なきを得る。
「罠だろう」
 アシュアがそっけなく答える。
「そんなことわかってるわよ。そうじゃなくって、どうして上に落ちるのよっ」
 それには答えず、アシュアは塔の戸を見つけ、ユシアと共に中へ入っていく。
「もうっ」
 急いでマイラもついていく。
 塔の中は螺旋状の階段で占められていた。ところどころが、ロウソクの明かりで照らされ、ゆらゆらと不気味な陰影をかもしだしている。終わりが見えない。ずっとどこまでもロウソクに照らされた階段が続いている。薄暗闇の中、足音が陰々と響く。声を出せば、拡大されて塔の中を不気味に反響する。
 階段の途中に、扉が見つかった。ためらいもせず、アシュアはその中に入る。中は広かった。そして、青白い顔をした男達が大勢立っている。
 ヤツラだ。
 ユシアは、反射的に身構える。だが、ヤツラは、動き出さない。それぞれの姿勢のまま、彫像のようにぴくりとも動かない。声を出すのも怖かった。なにかのきっかけで、ヤツラが動きだすのではないかと、とても恐ろしい。
 アシュアは気にするふうもなく、その中を通っていく。びくびくとしながらも、後を追う。
「動いたら、石にしていい」
 ターバンに手をのばしながら、マイラが聞く。
「そうしろ。ここまでくれば、雑魚に用はない」
「て、ことはこの先に闇の主がいると思う」
「おまえは、偵察したんだろ」
「だって、みんな変わっちゃったんだもん。わかんないよ」
 辺りは物音ひとつしない。どこかで時計の音だけが、妙に大きく聞こえる。ユシアには、悪夢のようだった。剣や、槍や、斧を構えたヤツラの中を、息をひそめて通っていく。いつ動きだすのかわからない。時計の音だけが、いやにはっきりと聞こえる。特に刃のそばを通らなければならないときは、勝手に足が凍りついてしまう。そのたびに、マイラにこづかれ、アシュアにひょいと、引っ張られる。
「ぼさっとつったってるほうが危ないって」
 ユシアの背中を押しながら、マイラが言う。それでも、ユシアの足は止まりがちだった。
 こわい。ヤツラがこんなにもたくさんいる。
 涙が浮かぶ。早く出て行きたい。
 アシュアにぶつかった。まだヤツラのただ中だというのに、立ち止まってユシアを見ている。
「大丈夫だ」
 ユシアの頭をそっとなでる。
「ヤツラが動き出したところで、おれは負けない。マイラも負けない。ヤツラは、おまえに指一本触れられない」
 思わぬアシュアのやさしい言葉に、ユシアは、わっと泣き出して彼の腰にしがみついた。アシュアは、やさしくユシアの頭をなでてやる。
「なに、それ。あたしのときに避けたくせに」
 マイラが怒る。
「おまえは、自分で身を守れるだろう」
「そういう問題じゃないでしょ」
 今度はアシュアの手につかまって、ユシアは歩きだした。まだ恐怖はあるが、ひとしきり泣いて涙は止まっている。時計の音だけが響き渡る。

 


 耳を弄する大音響で、鐘の音が鳴った。城中に聞こえるであろう頭痛がするほどの音。ヤツラが動き出す。
「目を閉じろっ」
 アシュアは言いざま、ユシアを抱え上げ走りだす。ヤツラの声とともに、時計の鐘が響いている。全部で十二回。ということは、今は、十二時。ヤツラは、十二時になると動き出す。
「もう終わった」
 言われて目を開ける。思ったとおり、ヤツラは動きを止めている。いくつかは、血まみれで倒れ、残りは、石の彫像になって。切られているのは、手近な者に限られているが、石像は遠くまで及んでいる。
「見える範囲はやっつけたけど、まだどっかに隠れていそうだね」
 マイラが後ろからやってくる。
「ねぇ、今は十二時なんだね」
 ここでは時間の観念などないと思っていたユシアが、言った。
「いや、ずっと、十二時さ」
 アシュアが答える。
 石像を避けながら広間を出ると、今度はまた闇に戻った。その中を頭大の泡が大量に浮かんでいる。闇の中で、青白く光り美しい。
「きれい」
 ユシアがつぶやく。近づくにつれ、その中に胎児がいるのがわかった。
「赤ちゃんがいるよ」
 手近な泡に触れると、ゼリーのようにたわんだ。その中で、丸くなった胎児が眠っている。
「気持ち悪いね」
 マイラが顔をしかめる。
「そうかなぁ。かわいいと思うけど」
 ユシアが言う。
「あたし、こういうの大っ嫌い」
「ねぇ、見て。欠伸してるよ」
 先を行くアシュアに見せようとする。胎児は、眠そうに目を開けた。ユシアは喉が張り裂けんばかりの声をあげ、手を放した。目の中は空洞だった。なにもない闇が、ぱっくりと口を開けている。
 胎児が口を開ける。その中には、その口に不釣り合いなほど大きく鋭い牙がびっしりと並んでいる。泡に包まれたまま、ふわふわと胎児がユシアに向かってくる。
「ひゃあー」
 アシュアに向かって、ユシアが走りだす。他の胎児も、流れるように向かってくる。血が流れた。胎児がことごとくアシュアの剣に屠られていく。
「石にできないよ」
 後ろでマイラが叫ぶ。
「泡に守られてるんだ」
 必死で噛みつかれまいと、少女は胎児をはたき落とす。胎児は、次から次へと襲ってくる。叩くと簡単に遠くに飛んでいき、すぐに戻ってくる。
「ああっ、あたしも剣を持ってるんだった」
 いくつも噛みつかれて、マイラは半泣きになった。少しでも手を休めると、胎児が群がってくる。ユシアもかなり噛みつかれ、血まみれになった。アシュアだけが噛みつかれもせず、血の雨を降らせ続けている。
「早く、こいつらも切ってよ。気持ち悪い。あたしのこと食べようとしてるんだっ」
 胎児を切り伏せながら近づいてくるアシュアを、マイラがせかす。剣が動くとすぐに、二人のまわりの胎児は地に落ちた。鮮血がほとばしる。
「いやぁ」
 胎児が全部切り伏せられても、マイラは手を振り回し続けていた。
「もういないよ」
 ユシアが声をかける。すべての胎児は二つになり、泡の残骸の中に転がっている。辺り一面の血の海。
「ううっ、気持ち悪い」
 マイラが身震いする。マイラもユシアも怪我自体はたいしたことはなかったが、全身血まみれだった。アシュアも返り血を浴び、血まみれだ。自分についた血をペロリとなめ、目が青く光る。
「ひぇっ」
 マイラが悲鳴を上げ、足を滑らせ尻餅をつく。
「あたし、おいしくないからねっ」
 座ったまま、後ろに逃げようと手足をじたばたさせる。アシュアは、それには見向きもせず、胎児を取り上げた。その頭を果物のように齧る。ぼろりと脳がこぼれ落ち、ユシアの意識は、遠のいていった。

 


「こんなひどい目にあうんだったら、ついてこなきゃよかった」
 マイラのヒステリックな声が聞こえる。ユシアの体は宙に浮き、上下に揺れている。また罠かと、おそるおそる目を開けると、単にアシュアに抱えられているだけだった。少し離れてマイラが悪態をつきながら、ついてくる。
「あたしだけ血まみれで傷だらけじゃないの。ユシアは、きれいに治ってるし、アシュアだって、血まみれだったのが、きれいになっちゃってるし。ずるいよ。どうしてあたしだけが、こんなにぼろぼろなのよ」
 そんな声をどこ吹く風とアシュアは受け流す。
 マイラの言うとおり、ユシアの傷は治って跡形もない。いつものことだが、服にさえ血の後はなくなっている。ユシアは顔をあげて、アシュアを見る。なるほど、白い服に染みひとつない。ユシアが動いたのに気づき、アシュアは、少年を降ろした。
「歩けるか」
「うん」
 どうして服が白いのと、喉まででかかったが、その返事が怖くなってやめた。血を全部なめとったとか言われたら、どうしよう。ユシアは、胎児を食べる光景を思い出して、気分が悪くなった。今までは闇のおかげで、おぼろげにしか見たことがなかったのだ。アシュアを見上げて、きれいな顔してるのにと思う。そういうことをしそうには、全然見えないのに。
「あたしだけ血の匂いぷんぷんさせてるなんて、いやだよ。ヤツラが血の匂いにひきよせられたら、どうするのよっ」
 マイラは、まだ文句を言っている。
「やかましいな」
 アシュアがぼそりと言う。足を止めて後ろを振り返る。
「だったら、なめとってやろうか」
「ぎゃっ」
 マイラは悲鳴をあげ、壁にへばりついた。
「いやよ。そんなの絶対いや」
 泣きそうになる。
「これ、あたしの血なんだからね」
「だったら、静かにしてろ」
 それから、マイラはぴたりとおとなしくなる。
「きゃっ」
 今度は、ユシアが悲鳴をあげた。
「今度はなんだ」
 面倒くさそうに、アシュアが聞く。
「あれ」
 今まで、たいまつが並んでいると思っていた物を指さして言う。
「人の首だよ」
 それらは松明のように燃えて、回廊を照らしている。ゆらゆらと揺れる炎。その中で、大勢の老若男女の首が無表情に目を虚空へと向けている。じりじりと髪や皮膚の焦げる匂い。だが不思議なことに、首自体にはどこにも焦げている形跡がない。ふと、目があい、首がにっと笑う。ユシアは短い悲鳴をあげ、アシュアに飛びついた。
「大丈夫だ。連中は襲ってこない」
「生きてるの」
「そうとも言えるし、違うとも言えるな」
「苦しくないのかな」
「どうかな。見たところ、意志がないようだが」
「悪い事したから、こんなにされたのかな」
「さぁな。ただ、この城の主は、悪趣味だということだけは、わかるな。おれは間違っても自分の城をこんな物で飾ったりしない」
「どうだか。化け物を食べるぐらいだもの」
 マイラが憎まれ口を叩くが、じろりとにらまれて、すぐに口を閉じる。
「なんだか、悪い夢を見ているみたいだ」
「悪夢さ。だから、お前は、殺されても死なない」
「えっ」
 驚いて、アシュアを見る。今まで知っていても、ユシアのことなど教えようともしてくれなかった。それが今やっと。
「これは、ぼくの夢」
「そうとも、違うとも言えるな」
 せっかく期待したというのに、いつものあいまいな答えに戻ってしまった。
「でも、ぼくが、悪夢の中にいるのは、確かなんだよね」
「ああ」
「だったら、ぼくは夢の産物」
「そうとも言えるし、違うとも言える」
「なにそれ」
「アシュアになに聞いたって無駄だったら」
 むくれたままのマイラが言う。
「性格悪いんだもん」
「そんなことないよ、なにかの理由があってのことだよ。きっと」
 ユシアが異議を唱える。アシュアとマイラが目を丸くする。
「すばらしく前向きな奴だな」
「なによ。このお人よし」
 口々に言う。
「あんた、もう忘れたの。さっきも見て気を失ったくせに。アシュアって、化け物を食べるんだよ。それでも、いい方って思うの」
「それって、なにかの間違いだよ。神様が悪魔に邪魔されて間違えちゃったんだよ」
 アシュアとマイラが顔を見合われる。そして、マイラが馬鹿笑いしだした。
「おっかしいの。こんなんでも、アシュアって神なんだけど」
「えっ、そうなの」
「一応。そのときどきで、神と言われたり、魔族と言われたりするが」
 アシュアが認めたくなさそうに、しぶしぶと肯定する。
「そっかぁ」
 ユシアの大声に、二人がまた驚く。
「なに一人で納得してるのよっ」
「やっぱり、アシュアって、いい神様なんだ。だから、悪い奴を食べちゃうんだ。そうやって、悪い奴を片付けてるんだよ」
 にこにこと謎を解いたとばかりに、自慢げに言う。
「そうかなぁ」
 合点がいかないとばかりにマイラが言う。
「ユシアは、おれを買いかぶりすぎだ」
 アシュアがきっぱりと言い切る。
「そんなことないよ。いつまでもこんなところにいないで、先に行こうよ」
 アシュアがいい神様に違いないと心から信じてしまったユシアは、急に心強くなって元気になる。
「ユシア、おれがお前を殺すっていうことを忘れてないか」
「いいよ。神様のすることなんだから、間違いないもの。それで生き返ったり、お願いをかなえたり、生まれ変わらせたりできるんだね。さぁ、行こうよ」
 天使のように純真な笑顔を浮かべて、ユシアが言う。元気づいた少年は、怖がっていた回廊をとっとと行ってしまう。その後ろ姿を、二人は毒気を抜かれたようにぼんやりと見る。
「言っていることは間違っていないが、なにかが違う気がしてならない」
 アシュアが珍しくぼやく。
「あたしもそう思うよ」
 マイラも同意する。




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