闇の幻影・8

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闇の幻影



 突き当たりには扉があった。その両脇に槍を持った屈強な男の像が二つ並んでいる。ユシアは、その像から少し離れて二人を待っていた。像は、岩を削った物のようだが、あまりに生々しすぎ、今にも動き出すのではないかと、ユシアは気が気ではなかった。アシュアがくるなり、その後ろに隠れる。
「ねぇ、これ、近づいたら、動くんじゃないかな」
 不安そうにユシアが聞く。
「動くだろうな。門番なんだから」
 そう言いながらも、アシュアはなんの躊躇もなく扉に近づく。クワッと像の目が開き、耳をつんざくばかりの雄叫びをあげる。
 ユシアは後ずさり、マイラは身構えた。アシュアだけが、平然としている。ゆっくりと扉が開いた。ユシアは化け物がまた飛び出してくるのではないかと、はらはらしたがなにも起こらなかった。扉の中には闇があるだけで、なにもやってくる気配はない。像もそれきり動かない。
 なにがどうなって。
 アシュアに聞こうとしたが、彼はとっとと先に部屋に入ってしまった。怖がりながらも、急いでついて行く。像が通り際に襲いかかってくるのではないかとびくびくするが、身動きひとつしない。
 なにも見えない部屋に入ると、ユシアはふわりと浮遊感を覚えた。足先で床をまさぐってもそこにはなにもない。
「アシュアッ」
 恐怖に襲われ必死で叫ぶが、声は闇に吸い込まれてしまう。アシュアがマイラに触れられないものかと手を振り回すが、なにもぶつからない。かつての孤独感が蘇る。
「いやだっ」
「落ち着け」
 暖かい手が肩に触れる。アシュアの声にユシアの恐怖が引く。いつの間にか闇の中心に光があった。その光のおかげで、ぼんやりとアシュアの顔が見える。そばにマイラがいるのもわかった。どういうわけか、ここではアシュアもマイラも光ってはいない。ユシアの感じた通り、三人は宙に浮いていた。光に向かってゆっくりと漂っていく。光に引き寄せられているのに気づいて、不安になったユシアは、アシュアの手をしっかりと握った。力強く握り返され、少年は安心する。残った手をマイラが握る。その行為は、ユシアを元気づけるだけではなかったらしい。さすがの彼女も怖いらしく、顔がこわばっている。
 近づくと、光は意外に大きいことがわかった。始めは手の平に収まりそうなぐらいの球でしかなかったものが、ユシアの何倍もの大きさになっている。それに近づけば近づくほど、暖かくなっていく。光の強さも増し、目が痛みだした。しっかりと手を握り直し、ユシアは目を閉じた。もはや明るすぎて、目を開けていられない。目を閉じていても、まぶたが真っ白に見える。暑い日差しを浴びているように、光が皮膚を焼き出した。
 暑い。
 それが、ふっとやんだ。

 


 ユシアは、柔らかなベッドの上で目が覚めた。木でできた天井が目に入る。
「ユシア、ごはんよ。起きてらっしゃい」
 やさしい母の声。
 ユシアは、起き上がって、しばらく考えた。失われていた記憶が徐々に戻ってくる。
 ここはぼくの家だ。そして、母さんがいる。これは夢。それとも夢から覚めただけのこと。アシュアは、ぼくが夢にいると言っていた。だったら、これは。
 何度も呼ぶ母の声にせかされて、ユシアは、隣の部屋に向かった。木造のこの家はたいして広くもない。ユシアの部屋と台所と両親の部屋があるだけだ。台所に母がいる。ユシアは、朝食の用意されたテーブルについた。
「ねぇ、父さんは」
 母の姿だけしかないことに気づいて聞く。
「なにを言っているの」
 母が言う。
「父さんは、とっくに死んだのよ。都に仕事を探しに行って、強盗に襲われて殺されたのよ。お金なんてたいして持ってなかったのにね」
 そうだったとユシアは思った。父さんは殺されたんだ。今年は不作で、畑からなにもとれなかった。だから父さんは、都に仕事を探しに行って強盗に殺された。
 今までは、裕福とまではいかなくても、そこそこに暮らしてはこれた。それが、今年から一変した。まだ子供のユシアもこれから仕事を探さなくてはならない。
 この村のだれもがそんな有り様になっている。ここ何十年来の不作のせいだ。こんな小さな村では、農業の他はたいして仕事などない。仕事のほしい者は、都へ出掛けなくてはならない。そして運が悪いものは、同じく仕事にあふれ飢えた強盗に会い、金品ばかりかわずかな食べ物まで狙われ、殺される。
 ユシアは、ため息をついた。自分も仕事を探しに都に行かねばならない。しかし、治安が悪いこの時期、都まで生きてたどりつけるのかも怪しい。
「どうしたの。早く食べなさい」
 母にせかされ、ユシアはフォークを手に持った。まだわずかでも食べるものがあればいい方だ。皿の上の固まりにフォークを刺そうとして、手が止まる。
「母さん、これはなに」
「なにって、肉に決まってるじゃないの」
 どうして食べ物に事欠いているのに、肉なんてと言おうとし、ユシアは硬直した。
 塊がぱっと炎に包まれる。けたけたと笑う声。炎の中で、人間の頭が馬鹿笑いしている。その顔は、父だった。ユシアは悲鳴を上げ、テーブルごとひっくり返した。それを見た母も笑っている。
 笑い声に追いたてられるようにして、ユシアは戸を開けた。そこは、光で満ちていた。その中へ無我夢中で飛び込む。

 


 なにかが腕に当たった。痛い。それを皮切りに、次から次へとなにかが当たる。
「出て行けっ」
 村人達が叫んでいる。声とともに、石が飛んでくる。頭をかばいながら、急いで逃げる。それでも大勢の村人は追ってきた。
「出て行け。おまえのせいで不作になったんだ」
 なぜ。ぼくのせい?
 なにがなんだかわからない。村人に追いかけ回され、投げられた石に傷つき、ユシアは泣き出した。
 なんで、こんなことをされなくちゃならないの。
「おまえがいたから、不作になったんだ」
 不作は全国的なものだった。だから、国の誰もが飢えることになったのだ。ユシアがこの村にいたか、いないかなどということは関係がない。だが、飢えに怒り狂った村人には、そんなこともわからなくなっていた。
「占いにあったんだ」
「おまえのせいだ」
「西の道にいたなんて」
 村人がわめく断片から、ユシアはだんだん理由がわかってきた。誰かが、今年の不作の原因を占った。そうしたら、西の道にあるものが原因と出たらしい。村人は、それを探しにきたところ、都に行こうとしていたユシアを見つけたのだ。目についたものを、単純に村人は占いにあった原因として扱った。不幸なユシアは、石を投げられ追いかけ回される。
「違う、違うよっ」
 必死で叫ぶが、村人は耳を貸さない。石つぶてがとても痛い。今では全身が痛む。ユシアは、力つきて転んだ。目の前が闇に包まれる。

 


 ユシアは転んだ姿勢のまま、宙に浮いていた。なにもない空間。身動きもとれない。下に誰かがいた。不自然な姿勢のまま、そちらを向くと少年の姿が見えた。血にまみれたぼろぼろの姿で、黒髪の少年が泣いている。
 どうしたの。
 ユシアは、少年をなぐさめてやりたかったが、体も動かず声もでない。なにもできずに眺めていると、少年は立ち上がった。顔が見え、ユシアはぎくりとする。あの顔、あの黒い目。自分の顔を見た記憶がないにもかかわらず、少年の顔は、自分にそっくりだということがわかった。
 ぼく?
 でも違う。そう、なにかが違う。
 少年は、先ほどの村人の仕打ちを恨んでいる。
 だったら、あれはぼくなの。それともぼくが彼。
「なんで、おれなんだっ。馬鹿な連中め、きさまらみんな殺してやるっ」
 ぞっとするほどの憎しみにユシアは、心が凍るようだった。
「子供だからって、馬鹿にすんじゃねぇ。もっと強くなってやる。おれには、特別な力があるって、占い師が言ってたんだ。だったら、それを使って、てめぇらみんな殺してやるっ」
 そして、少年は残酷な想像ににやりとした。
「それじゃ、面白くねぇな。ただ単に殺すんじゃ、あきたらねぇ。俺の奴隷にして、存分にこき使ってやる。そうさ、おれの足元にはいつくばらせてやる」
 少年は、よろよろと痛む体で立ち上がると歩きだした。
 やめてっ。そんなことやめてっ。
 ユシアは遠のいていく少年を止めようと叫んだが、声にならない。
 止めなくちゃ、止めなくちゃ。
 気ばかりが焦るが、なにもできない。とうとう、少年の姿は見えなくなってしまった。
 あれは誰だったんだろう。ぼくにそっくりだけど、どこかぼくとは違う。ぼくであり、ぼくでない彼。
 遠くになにか見えた。少年が気を変えたのだろうか。ユシアは、期待して目を凝らす。そして、恐怖に目を見開いた。突然、今までの呪縛が破れ、悲鳴が口をつく。
 辺りは闇に包まれていた。遠くから、赤い光が近づいてくる。ヤツラがやってくる。
 ぼくを殺しにやってくる。
 ユシアは、駆け出した。ヤツラの足は早い。どんどん迫ってくる。
 いやだっ、いやだ。殺されるなんていやだっ。助けて、助けて。
 ヤツラの生臭い息を間近に感じる。ユシアは、次に起こることを予期して、目を堅く閉じた。

 


 しばらくたっても、なにも起こらない。両手を誰かに握られている。目を開けると、アシュアとマイラがいた。相変わらず、しっかりと手が握られている。ということは、今まのは夢だったのだろうか。
 いったい、なんだったんだろう。
 目の前に、椅子に座った巨人の石像があった。この部屋は、床も天井も石でできている。がらんとしていて、三段ばかり高くなった壇上に、像があるだけだ。アシュアは、その像を見ている。
「支配されたな」
 石像に向かってアシュアが言う。ユシアが驚いたことに、石像はその声に目を開け、立ち上がった。背が高い為に、もう少しで頭が天井にぶつかりそうだ。
「アシュアか」
 低く轟くような声で、石像が応じる。
「そうだ」
「よくこの世界に忍びこめたな」
「世界を渡り歩くのは特技だからな。だから呼んだのだろう」
「ああ、そうだ。おまえは、どこの世界にでも忍びこむのがうまい。わしのように支配されることもない」
「闇の主か」
「ああ、奴に一杯食わされた。奴は、わしの力を得て、この世界を作った。わしは、この部屋に閉じ込められ出られない。情けないざまだ」
「だから、おれにどうしろと」
「奴を倒してくれ。そうすれば、わしは解放される」
「ならば、邪魔をするな」
「無理だな。奴はわしを支配していると言っただろう」
「少しは抵抗したらどうだ」
「ふん。一度、おまえと戦ってみたかった」
「それが、ものを頼む相手に言うことか」
「どっちみち、おまえは、空腹だ。わしの頼みがなくとも、奴を食わねば気がすまぬだろうよ」
「この借りは高くつくと思え」
 アシュアが不機嫌に言い放つ。
「わかっている。恩にきる」
「だったら、今、奴に力を貸すな」
「それはだめだと言ったろう」
「ふん。石頭め」
「わしは、石でできているからな」
 石像が大笑いをする。
「くだらん」
 言い捨てて、アシュアは戸口に歩きだす。取手に手を伸ばして、アシュアは顔をしかめた。扉が開かない。
「今ぐらい邪魔をするな」
 振り返って、石像にどなる。
「無理だと言った」
 石像の声が地割れのように轟く。
「ふせろっ」
 床が揺れユシアとマイラは、言われずとも、床にひっくり返った。アシュアが飛び上がる。わずかに遅れて、アシュアのいた場所に巨人の手がめり込む。部屋中が振動し、ばらばらと破片が飛び散る。巨人の後ろに、アシュアが立つ。巨人は振り向きざま、殴ろうとするが、ふわりと鳥の羽根のように避けられてしまう。
「おのれ、ちょろちょろと、逃げおって。剣を抜け」
 巨人が叫ぶ。
「抜けば、お前は死ぬ。そうなったら、おれは恩を返してもらえない。そんなことするか」
 ふわりふわりと避けながら言い返す。
「だったら、どうするつもりだ」
 こぶしにかすりもしないアシュアに、巨人は怒り狂う。
「こうするさ」
 またしても、アシュアが避ける。巨人のこぶしが風を切る。もののみごとに扉が吹き飛ぶ。
「早く出ろっ」
 アシュアが叫ぶ。二人は、廊下に踊りでた。すぐにアシュアも出てくる。
「卑怯者、逃げるのか」
 巨人が怒鳴る。
「こんなばかばかしいことに、つきあってられるか。借りは返してもらうからな」
 アシュアも怒鳴り返す。
「馬鹿野郎」
 部屋の中から、怒号が聞こえる。それへアシュアは笑い声で答え、廊下を歩きだした。
「知り合いなの」
 ユシアが聞く。
「子供の頃によく遊んでもらった。頭が悪いものだから、すぐに騙される。石だからしかたないことだが、闇の主につけいれられるとはな」
「友達なんだ」
 なんとなく、ユシアはがっかりとした。なにも自分を助けるために、この世界にきたわけではないことはよくわかっている。それでもアシュアがユシアではなく、友を助けるためにやってきたことが、とてもユシアをさみしくさせる。自分がアシュアに殺されなければならない身の上で、友達になれないことがとても残念だ。
「ねぇ、お願いしていい」
 急に人恋しくなって、ユシアは言った。
「なんだ。急に」
 驚いて、アシュアが振り向く。
「あのね。友達になってほしいの」
 なんだか恥ずかしくなって、おずおずと言う。アシュアが目を見開く。
「なんだって」
 耳を疑ったとでもいうように、聞き返す。
「えっ、だから、アシュアに友達になってほしいんだ。殺す相手だから、後でつらくなるかもしれないけど、それでも、友達になってほしいと思うんだけど、だめかな」
 だめだと言われるのが怖くなり、声が小さくなる。
「あたしがいるんだから、いいじゃない」
 むっとしてマイラが、ユシアをこづく。
「でも、アシュアともなりたいんだ。だめ?」
 アシュアは、黙ってなにかを推し量るようにユシアを見ている。
「ユシア」
 ユシアの背の高さに合わせて、アシュアは背をかがめた。
「なに」
「おれは、とっくに友達だと思っていたんだけどな。そう見えなかったか」
「ほんとっ」
 うれしくなって、ユシアは飛びつき、そのいきおいにアシュアは尻餅をついた。
「ぼくのこと殺さなきゃいけなくても」
「そうだな。それは、どうしても変えられない」
「それまでは、友達だね」
「いや、その後も友達だ。ユシアがいいと言ってくれるならだが」
「もちろんいいよ」
 ユシアが目を輝かせて答える。それから、アシュアはにやりとした。
「いいことを考えた。あの石頭を困らせてやろう」
「どうせ、ろくなこと考えてないでしょ。あんた達、こんなところに座り込んでどういうつもり。ここは危険なとこじゃないの」
 つっけんどんにマイラは言って、歩きだした。
「どうしたのかな。怒ってるみたいだよ」
「焼きもちだろ」
 面白そうにアシュアが言う。
「マイラも抱き締めてやろうか」
 マイラの後ろ姿に言う。
「馬鹿っ」
 それがマイラの答えだった。




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