闇の幻影・9

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闇の幻影



 胸の悪くなるような低い音が、城全体を揺らした。壁や床が小刻みに振動し、ユシアは全身がばらばらになるのではないかと、自分を抱き締めた。マイラがなにか叫んでいるようだが、音のせいでなにも聞こえない。アシュアは何事もないように立っている。そう見えたのは、つかの間だった。わずかに輪郭がぼやけ始め、彼の姿は徐々に崩れていく。
「アシュアッ」
 叫んだが、音にかき消されてしまう。そうしている間にもアシュアであったものは、霧のようにぼんやりと漂う光の粒子となってしまった。始まったときと同じく、轟音が止んだ。頭が痛み、耳なりがする。霧の向こう側で、マイラが頭を押さえているのが見える。どこからか、高らかに笑う声が城中に響く。
「アシュアッ」
 いったいどうしたものか。ユシアもマイラも霧を挟んで途方に暮れる。
「どうしよう」
 どうやったら、アシュアは元に戻るのか。
「そんなのわかるわけがないじゃない」
 マイラは床に座り込んで投げやりに言った。
「アシュアがこんなになっちゃうなんて、考えたこともないわ。なんだったのよ、いったい」
 遠くでなにか音がした。マイラがぴょんといきおいよく立ち上がり、ユシアは身を堅くした。マイラと顔を見合わせ、目だけであれはなんだろうと言いあう。手を振って、こっちにこいとマイラが示す。ユシアはアシュアであった光になるべくふれないようにと、壁にぴったりとくっついて向こう側へと行く。そばにいくと、マイラがすぐに手を握る。
「離れるんじゃないよ」
 厳しく張り詰めた声に、ユシアはうなずく。なにかが、ゆっくりと廊下の向こうからやってくる。床が揺れるような重い足音。ゆっくりとだが、確実に近づいてくる。
 アシュア。
 救いを求めて、背後を振り返る。が、期待したような青年の姿ではなく、霧のまま漂っている。マイラは、片手をターバンにのばした。
「石になってくれるような奴だといいんだけど」
 独りごちる。
 石にたいして、石にする力などなんの役にも立たない。ユシアは、どうにかしてアシュアが元に戻ってくれないだろうかと、じっと霧を見つめる。ゆらりと、霧が動いた。はっとして、ユシアは廊下に目を転じた。空気が動いている。
「マイラ、風が」
 なすすべもなく、ユシアは廊下の先と霧を交互に見た。廊下の先から風が吹いてくる。それに流され、霧が揺れる。
「ばらばらになっちゃうよ」
 廊下へ意識を集中させているマイラの手を強く引っ張る。
「わかってるわよっ」
 マイラが怒鳴り返す。
「でも、石にされるのを用心して、こっちに出てこないのよ。これじゃどうしようもないわ」
 風は、どんどん強くなっていく。霧はただ揺れるだけではなく、つむじ風のように螺旋状になり、また、風に揺れる薄布のようにはためいたりする。
「よかった。ばらばらにはならないようだよ」
 風に揺れはしても、拡散するようすのない霧を見て、ユシアは安堵する。風に流されないためか、さまざまな形に変形し、ぼんやりと光る霧はとても美しい。廊下の向こうにいる何者かも、それに気づいたらしい。ぴたりと風が止む。
「今度はなにをする気だろう」
「少しでもこっちを見てくれればいいんだけど」
 マイラはそのときを狙って、ターバンがとれる態勢を崩さない。向こうも見れば石になることを知ってか、壁の陰から出て来ない。膠着状態に陥る。
 時計の鐘が鳴った。
 ヤツラが武器を構えて、やってくる。
「こいつらは、学習能力ないみたいね」
 ユシアはマイラに言われるまでもなく、目をつぶった。
「しばらくは、目をあけちゃだめよ」
 マイラはそう言うとユシアから手を放し、駆け出して行った。残されたユシアは不安になった。耳をすましてもなにも聞こえない。いつまで、こうしてればいいのだろう。手探りで、壁を探しそれに背を押し付け、胎児のように丸まり、マイラを待つ。
 早く戻ってきて。
 心の中で叫ぶが、いつまでたっても戻ってくる気配がない。
「マイラ」
 取り残されたのではという不安に襲われ、ユシアはそっと声を出した。返事はない。
「マイラッ」
 今度ははっきりと声を出す。やはり返事はない。そばにはいないのだろうか。だったら、目を開けてもかまわないのだろうか。それとも、今、そばにいるのに、返事ができないだけなのだろうか。
「目を開けていい?」
 聞いたところで返事はない。
「開けちゃうよ。開けちゃうからね」
 なにも見えないということが恐ろしい。ユシアは、ゆっくりと目を開けた。それでも用心して、まずは床に目を向ける。それから、徐々に視線をあげていく。やはり、マイラはいなかった。そばにいるのは石になったヤツラと、光でしかないアシュアだけ。
 アシュアの姿は少し変わっていた。先ほどは、霧にしか見えなかったが、今はユシアが抱えられるぐらいの球状の光になっている。
「ねぇ、戻るのに、時間がかかるのかな」
 アシュアに話かけたが、別に返事は期待していなかった。
 核ヲヤラレタ。少シ、時間ガカカル。
「カクってなに」
 驚いて問い返す。
 姿ヲ保ツタメノ、中心。ソレガナイト、特定ノ姿デイルコトガ、難シイ。
「へえ、そうなんだ」
 わかったようで、わかっていないようでもあったが、ユシアはとりあえず、うなずいた。
「じゃあ、動けないの」
 イヤ、動ケル。行コウ。
 アシュアに促され、歩き出す。
「マイラは、どこにいっちゃったのかな」
 ヤツラの石像をかきわけながら、聞く。
 コノ先ニイル。心配ナイ。
「よかった。ねぇ、そのままの姿で戦えるの」
 心配ナイ。奴ハ、姿ガトレナケレバ、勝テルト思ッタヨウダガ、ソレハ違ウ。姿ガナイ相手ヲ、攻撃スルコトハ、デキナイ。今ノオレニ、怪我ヲサセルコトハ、デキナイ。
「へぇ。でもそれって、攻撃もできないってことじゃないの」
 ソレハナイ。ダカラ、我々ノ種族ハ、恐レラレル。我々ハ、強イ。寿命デ、死ヌコトモナイ。止マレ。
 話に夢中になっていたユシアは、急に制止をかけられ、慌てて従う。いつの間にか、廊下の角まできていた。さきほど、何者かが潜んでいたところだ。
「どうしたの」
 まいらニ、声ヲ、カケタホウガ、イイ。石ニ、サレル。
「あっ、そっか。マイラ、行ってもいい」
 壁の陰に隠れるようにして、声をかける。
「だめよっ。おとなしくしてらっしゃい」
 遠くから、慌てたような返事が聞こえる。
「いいって言うまできちゃだめよ」
「どうしたんだろう。まだ敵がいるの」
 マイラではなく、アシュアに聞く。
 イヤ、違ウ。たーばんヲ、ナクシタラシイナ。
 そう答え、アシュアはマイラの方へ漂っていく。
「アシュア」
 驚いて止める。
 大丈夫ダ。光ヲ、石ニスルコトハ、デキナイ。
 遠ざかっていく姿から、返事が返ってくる。
「あら、アシュアなの」
 ずっと向こうから、マイラの声が聞こえる。答えているはずのアシュアの声は、聞こえなかった。今までも声を出していたわけではなかったらしい。
「なんで、そうなっちゃったのよ」
「あら、あった」
 まるでマイラが、一人でしゃべっているようだ。
「こっちに来ていいわよ」
 ようやく呼ばれてユシアは、廊下を曲がった。そこもヤツラの像で、ひしめいている。その中で、一つだけ形が違うものがあった。
「これがさっきの」
 逃げようとしたらしくユシアの方からは、背中しか見えない。それでも、人間でないことだけは確かだった。それは、ユシアよりも大きな球型をしている。横に回ってみると、球ではなく滴型であることがわかった。一番細まっている部分に口があり、そのわずか上に目らしきものがある。見た限り、手も足もないようだ。
「跳ねて動くのよね」
 げんなりしたようにマイラが言う。
「石になると、わからないけど、生きてるときは、ぐにょぐにょして、気持ち悪かったんだから。口から風を起こしてたみたいよ。口をのぞいてごらんなさいよ。歯がびっしりとならんでるから」
 確かにマイラの言う通りだった。石になってしまうと、こんなおかしなものが動いていたとはとても思えない。
「でも風をおこしただけで、勝てるわけないと思うけど」
「これだけが、いたんじゃないわよ。上を見なさい」
 言われて、ユシアはぎょっとした。天井に、巨大な蜘蛛がはりついたままになっている。足の一本がユシアの足よりも太い大蜘蛛だ。こちらは逃げる態勢ではなく、飛び掛かる態勢で、石になっている。
「すごいや」
 今にも落ちてくるんじゃないかと不安になって、急いでその下からどく。
「よく、天井にもいるって気がついたね」
 感心して言う。
「別にあたしが気づいたわけじゃないけどね」
 だったら誰がと、ユシアが聞く前に、マイラは歩き出してしまう。
「早くここから出ようよ。あたしもういやになったわ。アシュアはこんなになっちゃってるし」
別ニ、不自由ハ、ナイガ。
「大ありよ。どうやって、剣を使うつもりよ」
 マイラが意義を唱える。
 使ワナクテモ、困ラナイ。
「アシュアは、困らなくても、あたしが困るのよ。剣しかきかない相手が出てきたら、あたしはどうなるのよ」
 平気。
「アシュアは平気でも、あたしは平気じゃないのよ」
 ヤカマシイナ。
 マイラがわずらわしくなったアシュアは、先に飛んで行ってしまった。残された二人が走って追う。

 


 廊下を右に折れたところで、二人は足を止めた。その先には、壁がなく外がのぞいている。離れたところに同じく戸のない塔の入り口が見えるが橋はなく、城と塔の間に奈落がぱくりと口をあけている。すでにアシュアは向かいの塔に行っており、二人を待っている。
「ちょっと、どうしろってのよ」
 マイラが叫ぶ。
 飛ビ越エロ。
「そんな簡単に言ってくれるわよ。自分は、ふわふわ飛べるくせに」
 下を見て、おじけづく。
 ドウシタ。早ク、来イ。
 落ち着かないのかそれとも、核が治りつつあるのか、アシュアは帯状になったり楕円になったりと、くるくると姿を変えている。ときおり人や獣に近い姿になり、ユシアは、はっとするが、すぐに別の姿になってしまう。
 急ゲ。敵ガ来ルゾ。
 せかされてもやはり、奈落に足がすくむ。
「あんたはいいわよね。失敗しても生き返れるんだから」
 マイラがユシアにぼやく。それは生き返る苦しみを知らないからだと、少年は思ったがなにも言わなかった。
「なら、ぼくが先に行くけど」
 マイラを脇に押しのけ、ユシアは飛び出した。塔までは飛んで飛べない距離ではない。しかし、空中にいる間が、とても長く感じられた。塔の縁に足がつく。態勢が崩れて後ろにのめる。
 すぐに力強い腕に引っ張れ、転げるように塔の中に入った。一瞬、腕だけが実体化したアシュアが、光の姿に戻って宙に浮いている。
「ありがとう」
 恐怖のあまり立ち上がれずに、座ったままようようと言う。
 次ハ、まいらダ。
 マイラは、アシュアが一瞬でも手をかせると知って安心したのか、ひょいと飛び込んできた。危なげなく着地する。
「なんだ、飛びこせるじゃないか」
 ユシアが不服そうに言う。
「ふん。たいしたことないわよ」
 さっきは怖がっていたくせに、けろりとして言う。
 ドイテロッ。
 いきなり、マイラはアシュアに突き飛ばされて、中に転げ込んだ。間一髪で巨大な鳥らしき姿がまっしぐらに突っ込み、すぐに舞い上がって行った。
 マタ、来ルゾ。下ヘ行ケ。
 言われるままに、螺旋階段を急ぐ。鳥が塔に体当たりをする。瓦礫が落ち、二人は階段を転げ落ちそうになる。
 鳥は戸から入ってはこれないほど、巨大だった。かわりにその巨大な体を生かして、何度も塔に体当たりを繰り返す。塔の揺れが激しく、二人は階段から落ちないでいるだけで精一杯だった。
「塔が壊れちゃうよ」
 マイラの言う通り、壁に亀裂が走りだしている。
 体当たりがやんだ。どうしたのかと、おそるおそる小さな窓をのぞくと、巨鳥に長い銀色の光が巻きついている。巨鳥は、身動きができずに落下して行く。
「アシュアが落ちちゃう」
 あの光はアシュアだと見てとり、ユシアが叫ぶ。
「あんた、自分のことを心配しなよ。アシュアは飛べるけど、あたし達は飛べないんだからね。このままだと、あたし達ここから落ちるよ」
 マイラの言う通り、塔は巨鳥の体当たりのせいで、崩れかけている。こうしてじっとしていても、壁や階段がひび割れていく。
 飛ビ降リロ。
 戻って来たアシュアが言う。もう巨鳥を倒してしまったらしい。
「えっ」
 マイラが仰天して、顔を上げる。
 早クシロ。塔ガ崩レル。
「そんなこと言ったって」
 螺旋階段に手摺りはない。一歩踏み出せば、真っ逆さまに落ちていくだろう。底は闇の中に沈んでいる。塔が揺れ、ひびが大きくなった。
 崩レルゾ。
 アシュアは、マイラを突き飛ばした。悲鳴とともに、真っ逆さまに落ちていく。続いて、ユシアも飛び降りる。塔が、階段があっと言う間に崩れていく。瓦礫が落ちてくる。アシュアの光が傍らを過ぎていった。マイラも追い越し、見る間に底に吸い込まれていく。瓦礫が、下の方で音をたてる。
 水の音だ。
 瓦礫の音に混じって、ひときわ大きい水音がする。マイラが落ちたらしい。そしてユシアも、大きな水しぶきをあげて落ちていった。

 


 水がとても冷たい。その中を少しも速度が落ちることなく、沈んでいく。息ができない。ユシアは、初めて息苦しさを覚えた。水を飲み込み息苦しさにもがくが、浮き上がることができない。なにかに引き寄せられるように、沈んでいく。
 不思議と、水の底の方が明るい。なにかが輝いているようだった。アシュアかもしれない。魚のようなものが、いくつか近づいてくる。下半身が長い魚の尾の人魚だ。
 ユシアの手を取ると、光の源へと連れていく。息ができずに、ユシアの意識は朦朧としてきた。人魚が助けるつもりなのか、危害を加えるつもりなのかわからない。
 不意に、呼吸ができた。突然の空気にユシアは咳き込み水を吐いた。近くでもう一人咳き込んでいる者がいた。マイラだ。見回すと、やはり辺りは水の中だった。水の中に沈んだ城の前らしい。どういうわけか、ここでは息ができる。まわりを何人もの人魚が値踏みするように、囲んでいる。
「なに、ここ」
 ようやく、まともに息ができるようになったマイラが言う。
「あんた達、あたし達になにしようっての。場合によっちゃ、石になるよ」
 威勢よく、啖呵を切る。人魚達は、それを見てにいっと笑う。その唇から、牙がこぼれる。
「なによっ。食べようっての」
 いつでもターバンをとれるよう態勢を取るが、人魚はただ回りを泳ぐだけだった。人魚達は、口がきけるのか、きけないのかなにも言わない。ただ黙って、ユシア達の回りを泳ぐ。
 アシュアは、どこに行ってしまったんだろう。
 ユシアは目でアシュアの姿を探した。先にここに来たはずなのに、その姿がどこにも見えない。
 人魚達の泳ぎが止まった。きしんだ音に、二人は振り向く。城の扉が開こうとしている。
 ユシア達は、生臭い匂いに顔をしかめた。マイラが目を閉じるようにと、目で合図する。ユシアがうなずいたそのとき、光が二人の間を通っていった。
 アシュアだと思う間もなく光は扉の中に入りこみ、現れようとしていたなにかが、扉の向こうでじたばたと暴れる。人魚達は、総毛立って姿を消してしまった。城の中から、断末魔が響く。二人は、きょとんとして顔を見合わせた。
「よっぽど、おなかがすいてたみたいだね」
と、マイラ。
「食べ終わってから、入ろうよ」
と、ユシア。
 魔物を食べるアシュアの姿など見たくない。ユシアは、時間つぶしに辺りを観察した。上を見上げれば、光が水の中できらめている。入ってきたときは、底の方が明るく見えたが、ここでは、水面の方が明るくみえる。魚が泳いでいる。ここは海か湖なのだろう。塩の匂いがしないから、たぶん、湖。水面を走る船の姿がうっすらと見える。

 


「なにをしている。入ってこい」
 声に振り向くと、青年の姿のアシュアが立っていた。
「元に戻れたんだね」
 うれしくなって、ユシアが叫ぶ。
「あの姿の方が、元だが」
 そう言ってアシュアは、肩をすくめる。
「まぁいい。今食べたのが、わりあい大物だったからな。少しは力がついた。さぁ、いくぞ」
 城の中に踏み込むと、さきほどかいだ生臭い匂いがどっと押し寄せてきて、ユシアとマイラは辟易した。おまけに辺り一面、どろりとした粘液がついていて、歩きづらくてしかたない。アシュアだけが何事もないように、さっさと歩いていく。
 ときどき、魚や動物の骨、人魚や人間らしきものが、粘液の中に埋もれている。ここの主がどんな姿をしていたのか知る由もないが、会いたいと思うようなたぐいの相手ではないことは確かだ。
 奥の扉をくぐると、またしても世界が変わった。滝があり森を小川が流れ、鳥がさえずる。あの城の主がくるようなところとも思えず、振り返ると城も扉も跡形もなく、見渡す限りの草原が続くだけだった。
「ねぇ、ここは安全なの」
 敵がいるようには見えない。ここで一息つきたくなって、アシュアに声をかける。
「いないなら休もうよ」
 マイラも同じ考えらしい。
「平和に見えるからといって油断するな」
というのが、アシュアの返事だった。
「もうここからでたいなぁ」
 マイラがぼやく。
「こんなわけのわからないところなんて、もういやよ」
「帰りたければ、帰ればいいだろう」
 にべもなく言われ、マイラは鼻白んだ。
「そんなぁ。こんなにいろんな世界がいりくんでたんじゃ、あたしに帰れるわけないでしょ」
「だったら、黙ってろ」
 アシュアは、滝壺にかかった虹をくぐった。途端に姿が消える。驚いた二人も慌てて後に続く。それは、洞窟に続いていた。遠くに光が見え、それに向かって一行は歩き続ける。
「なにもでなかったね」
 洞窟を抜けると、再び頭上に青空が広がっていた。気分がいい。魔物ともあわずにすみ、ユシアは、少しくつろいだ気分になっていた。
「あんたね。こんだけ日が照りつけてるのに、暑くないの」
 マイラがあきれたように言う。
「もちろん暑いよ。ここが砂と岩ばっかりだってこともわかってるよ。でも、魔物がでないってことはいいことじゃない」
「そのうちでるわよ。アシュアだって、さっき言ってたじゃないの。油断するなって」
「わかってるよ」
「後少しだ」
 アシュアが言う。
「なにが」
 マイラが聞き返す。
「さっき、休みたいと言ったろう」
 ついてこいと身振りで示し、アシュアは岩場へ向かった。そこは風に侵食され、柔らかい地盤だけが削られた天然の洞穴が幾つもあった。
「この中に化け物いないでしょうね」
 洞穴の前で、マイラが警戒する。
「いないな。この世界は、獲物の匂いがまったくない」
「それはよかったわ」
 ぴょんと穴に飛び込み、強い日差しからのがれる。ユシアも中に入る。洞穴の中は、空気がひんやりとして心地よかった。疲労は感じていなかったが、精神的にゆっくりとくつろぎたい。座り心地のいい場所を探して、ほっと一息つく。マイラはというと横になって、すぐに寝入ってしまった。
「よほど疲れていたらしいな」
 かがみながら、アシュアが入ってくる。この洞穴では天井が低すぎて、アシュアは立つことができない。
「アシュアは、休まないの」
「休むさ。眠っている間、見張りをしててくれ」
 そういうと、ユシアのすぐ横に腰を降ろした。剣を抱えるようにして、目を閉じる。
 疲れていたのかな。ぼくは疲れてもすぐに回復しちゃうけど、アシュアたちはそうじゃないんだ。
 ユシアが物思いにふけっているうちに、日が傾いてきた。闇の中では決してわからない、時がすぎていく証し。
 もうすぐ夜になるんだ。星が見えるかな。
 ぼんやりと外を眺める。風が砂を舞いあげる。砂丘が崩れていく。
 あれっ。
 ユシアは、身を起こした。気配を感じてアシュアもすぐに目を開ける。
「どうした」
「うん。気のせいかもしれないけど、流されてるみたいじゃない」
 少しずつではあるが、辺りに見えていた岩場の位置が変わってきている。
「流されているな。それに嵐になる。奴は、ここに閉じ込めるつもりだ」
「どうしよう」
 立ち上がって、外をのぞく。強風がユシアの顔を叩き、砂が視界をふさぐ。
「出れないよ」
「慌てるな。こうなることはわかっていた」「だったら、なんで」
「休養が必要だったんだ」
「でも、この洞穴って、罠だったんじゃないの。休みたいときに、都合よく休める場所があるなんて、おかしいよ」
 いまさらながらに気づいて、ユシアは愕然とした。アシュアが笑う。
「今頃、気づいたのか」
「最初から知ってたの。だったらなんで」
「休みが必要だと言ったろ。お前は疲れないからいいが、マイラとおれは疲れるんだ」
「でも、罠だよ」
「だったら他にどうしろと。疲れていては充分に戦えない。おまえだって、精神的に参っていたじゃないか。休めるときに休んだほうがいい」
「そうだろうけど」
 罠だと知った途端、ユシアは落ち着かなくなった。
 この後、なにが起こるのだろう。マイラは、まだ眠っている。眠っている間になにかするつもりではないのか。
 心配ないとアシュアは言う。
「どこかに連れて行くために、閉じ込めたんだ。それまではなにもないさ」
「じゃあ、着いたらどうなるの」
「そこには、獲物がいて、おれが食う。なんの心配もない」
「でも、もし、食べれない奴だったら」
「剣で倒すだけのことだ。おまえ、なにをそんなに脅えている」
 アシュアがユシアの肩に手を回して、やさしく叩く。
「わからない」
 首を横に振る。
「今までは、考える時間なんてあまりなかったからかも。なにもしないでいると怖くなるみたい」
「こういうときは、眠ったほうがいいんだが。眠くないんだろう」
 ユシアがうなずく。
「眠ろうと思えばできると思うけど、アシュアは、眠い?」
「どうかな。もともと、おれは、何日分かまとめて眠るからな。疲れてはいるが、もうすぐありつける獲物のことを思うと、気分が高揚してくる」
 だからこのところ機嫌がよく、よくかまってくれるわけだと、ユシアは納得した。こういうふうにやさしくかまってくれるアシュアはとても好きだ。始めに会ったころよりずっといい。それに獲物がある以上、食べられるという心配もしなくてすむ。
「ねぇ、いつもこんなにおなかがすいてるの」
「食いだめがきくからな。四、五年に一度だな」
「よかった」
 ユシアは、ほっと安堵する。食べられるのではと心配するのは、いつもというわけではないのだ。
「よかった?」
「だって、やさしいときのほうがいいもの」
 アシュアがくすりと笑う。
「確かに、空腹のときは機嫌が悪いから、誰も近づいてこないな」
 ユシアも小さく笑う。
「そうだろうね。アシュアの種族ってどんななの。みんな、魔物を食べるの」
「おれの種族は、皆、やたらと個性があって統一性がないな。魔物を食べるのは、おれのほかに数人ぐらいだ」
「いろんな人がいるの」
「いろいろね」
 アシュアに寄りかかって話をするうちに、ユシアは眠くなってきた。欠伸がでる。くつろいだ気分になって、ユシアは初めて眠りらしい眠りに落ちていった。そして、夢を見た。アシュアとマイラ、三人で楽しく旅をする夢を。




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