闇の幻影
11 落ちてきた勢いのまま二人は穴を抜け、一瞬宙に浮く。そして、穴のあった方へと落下した。また穴に逆もどりかと思ったが、穴は消えていた。柔らかい砂地にもぐりこむ。必死で砂からはい出すと、青年の姿に戻ったアシュアがヤツラと戦っている姿が目に入った。 時計が鳴っている。ユシア達もたちまちヤツラに囲まれる。 「目を閉じてっ」 マイラの声に従う。すぐにヤツラの叫び声が聞こえなくなる。 「よけいなまねを」 アシュアがどなる。 「そんなぁ」 傷ついたようなマイラの声。 「どうしたの」 なにが起きたのかわからずに、ユシアが聞く。 「もういいよ。行こう」 目を開けると、かなりぎりぎりのところに石となったヤツラの剣がせまっていて、ぎくりとする。 「なにしてるの。アシュアはもう行っちゃったよ」 「ちょっと待ってよ」 剣をくぐって、マイラの後を追う。闇の中に、時計塔が建っている。そのせいで、時計の音がひときわ大きく響きわたる。空には、三日月が浮かんでいた。それを背景に、時計が時を刻む。ここの砂は、足が沈みやすく歩きづらい。何度も足を取られて転んでしまう。 「ねぇ、マイラ」 転んだまま、マイラに声をかける。 「自分で起きなさいよ」 「そうじゃないよ。ここの砂。星の形しているよ」 言われてマイラも砂をすくってみる。 「ほんとだ」 「空に星がないのは、ここにみんな落ちてきちゃったからなのかな」 「あんた、ものすごく無邪気な発想するのね。そんなわけないと思うけどな。それより、早く行かないと、アシュアとはぐれるよ」 マイラの言う通り、アシュアは、もう時計塔の中に入ろうとしている。 「少しぐらい待っててくれてもいいのに」 「トカゲのせいで機嫌悪くなっちゃったみたいね。さっき、ヤツラを石にしたときなんかさ、どなられたもん」 「聞こえたよ」 「あたし、殺されるかと思ったわ。すごい目をしてにらむんだから。まったく、情緒不安定なんだわ」 「ジョウチョなんだって」 「気分がコロコロ変わりやすいってことよ。せっかく上機嫌だったのに、いきなり、すんごい不機嫌になっちゃうんだから」 「でもそれって、おなかがすいているせいで、いつもじゃないんじゃない」 「そんなことどうでもいいわよ。問題は、今おいてけぼりになりそうになってるってことよっ」 二人は砂に足をとられながらも、時計塔を目指して駆け出す。時計の文字盤には、十二の数字がひとつだけしかない。そして、針も長針だけ。今、十二を少しずれたところを指している。 「ずっと十二時なんだ」 時計を見上げて、ユシアがつぶやく。 「早くきなさいよ」 先に扉へたどりついたマイラが呼ぶ。 「わかってるよ」 急いで、そばに行く。 「きゃっ」 先に中に入ったマイラが声をあげる。扉をくぐると、ぼたぼたと生暖かい固まりが降ってきた。階段上で、アシュアが剣を振るっている。切り取られたヤツラの肉と血が雨のように降り注ぐ。 「下のことも考えて戦ってほしいわぁ」 時計塔の中は、巨大な振り子とたくさんの歯車でしめられていた。その脇に細い階段が時計台へと続いている。階段は狭く、ぜんまいや歯車が手の届くところにある。一歩足を滑らせれば、歯車に巻き込まれてしまうだろう。 その階段で、アシュアは身軽に舞っていた。ヤツラの剣を避け、ひらりと手摺りに降り立ち切り伏ると、次の獲物を探してヤツラの頭上を軽々と飛び越える。数が多いにもかかわらず翻弄されるヤツラ。いつまでも続く血の雨。辺りに漂う生臭い血の匂い。血に酔ったアシュアの哄笑。 ユシアの視界が、揺らぎ出す。 こんなことって。 目が回りだし、気分が悪い。ぐらぐらと地面が揺れているような気がする。 「気持ち悪いの」 頭を抱えて座りこんだユシアに、マイラが聞く。 単調な時計の音が大きく聞こえる。ときおり歯車に巻き込まれたヤツラの悲鳴やつぶれる音が、それをかき消した。 「殺すの、楽しいのかな」 ようようとユシアは言った。 「えっ」 マイラがきょとんとする。 「ああ、アシュアのこと。さっきはあんなに機嫌悪かったのに、今はまた上機嫌だね。気にすることないよ。いっつも、気分が一定しないんだから」 「そういうことじゃないよ」 どれだけのヤツラがいるのか。死体は降り止まない。せまい空間に、死体が降り積もる。 どんなにヤツラがいても、アシュアの優勢は変わらない。歴然とした力の差があるにもかかわらず、ヤツラは挑み屠られていく。 「やめればいいのに」 殺されることがわかりきっているのに。何人死んでも、それは犬死にでしかない。それなのに、ヤツラはやめない。そしてアシュアは、圧倒的な力の差を楽しんでいる。その状況がユシアの気分をとても悪くする。 「何わけのわかんないこと言ってるの。いくよっ」 マイラに手をひかれて、血に濡れてぬるぬるとする階段をのぼりだす。足が滑りやすい。手摺りにつかまると、そこもぬるりとした。手が鮮血に染まる。むせかえるような血の匂いに、胸がむかついてくる。 「ほんと、後から行く身にもなってほしいわ」 マイラが文句を言う。二人は上から降る血のせいで、全身血まみれになっている。いつの間にか、悲鳴が止んでいた。もう血の雨が降ることもない。見上げるとアシュアの姿もなくなっていた。 時計の音だけが、大きく響く。 歯車が何事もなかったように、規則正しく回っている。二人の足音が、その音に混じる。 とても静か。 今までの阿鼻叫喚が嘘のようだ。ヤツラの残骸だけが、さきほどの名残を止めている。不気味なまでの静寂の中で、時計と足音の単調な音が大きく木霊する。 「アシュア、行っちゃったね」 取り残されて、むなしくなったユシアが言う。声までもが、塔の中を陰々と響く。 「うん。早く行こう」 足を速めようとするが、血に濡れて歩きづらい。思うようにはかがいかず、気ばかりが焦る。 何かが落ちるような音が塔を揺るがす。階段から放り出されそうになり、慌てて手摺りにしがみつく。頭上から、暴れるような音がし、瓦礫が落ちてくる。そして、死に物狂いの咆哮。それへ覆いかぶさるように、アシュアの勝ち誇った笑い声が塔内に反響する。 「よかった。まだこの上にいるね」 手摺りにしがみついたまま、マイラが言う。 「そうみたいだね」 血に濡れた手摺りは滑りやすい。必死でつかまりながら答える。 「また、戦ってる」 あの咆哮からして、ヤツラではない。また別のなにか。一体、どれだけの命が失われなければならないのだろう。 「笑ってるから、アシュアが有利なんだろうけど、もう少し静かにやってくれないかな」 なにかが、派手に壁や床にぶつかる。そのたびに、塔が大きく揺れる。天井が抜けた。大きな瓦礫が歯車に挟まり、時計の動きが止まる。 「なんということをっ」 聞き覚えのある声が、悲鳴をあげる。アシュアではない。穴から、黒い固まりが落ちてくる。それは、機械の隙間をうまい具合に通り抜け、下方でぐしゃりと音を立てた。 揺れは止まった。 下を見ないようにして、ユシアは階段を急ぐ。ようやく長い階段が終わる。扉は、開け放たれていた。中から言い争う声と、剣がぶつかり合う音が聞こえる。 戸の陰からそっと中をのぞく。中は、広間になっていた。赤い絨毯が敷かれ、その先に王座がおかれている。 アシュアが激しく剣を打ち合わせている。相手は、甲冑姿だった。アシュアよりも体が大きく、だんびらを振り回している。体が大きいわりに動きが素早い。 アシュアが剣を受け流し、隙をみつけて攻撃する。ひらりとかわされる。剣が空を切る。あいた脇へ甲冑姿が、剣をふるう。間一髪でアシュアは横に倒れ、甲冑姿の腕を蹴りあげる。剣がはね飛ぶ。 甲冑姿がアシュアにつかみかかる。倒れたままのアシュアは、甲冑姿の足を払う。どっと横転する男。アシュアが跳ね起きざま、首をはねる。 飛び散る鮮血が、赤い絨毯に溶け込む。兜をつけたままの頭が、王座のほうへ転がる。 王座の主が立ち上がった。 ユシアは目を見張った。人間らしき部分は、上半身だけで、頭は蛇、下半身は馬、足は鳥、尾は牛のものだった。 「闇の主よ」 マイラがそっと教える。 こいつが、主。 「化け物め」 そいつが、蛇の口を動かして言った。 「お互い様だ」 剣を振って鞘に収めながら、アシュアが応じる。 「なぜ、ここにきた。なぜ、わたしの邪魔をする」 闇の主は悲痛な叫びをあげた。鳥の足では歩きづらいのか、その歩きはたどたどしい。 「わたしが、おまえになにをした」 「おまえが力を吸い取っている石の王は、おれの友人だ。彼を助けにきた」 それを聞いた闇の主は、ぶるっと身を震わせ身構えた。 「そうか、わたしの力を奪いにきたのか。そんなまねは絶対にさせん。なんとしても、殺してやる」 それから、彼は扉の陰に隠れているユシアに目をやった。 「ここはおまえがくるところじゃない。闇の中に帰れっ」 全身を怒りに震わせて、ユシアを怒鳴りつける。ユシアは脅えてマイラの後ろに隠れた。 「憎いか、ユシアが」 アシュアがおもしろそうに言う。 「それほどまでに、おまえ自身が憎いか」 「ええっ」 仰天して、少年は闇の主を凝視する。 いったい、どういうこと。 「言うなっ」 主が叫ぶ。 「ユシアが憎いのは、お前が人間の姿を捨てる前の幻影だからだ。魔物たちに何度殺させても、死ぬわけがない。お前につきまとう亡霊。人間であった頃を思いださせ、苦しめる幻影。魔力を得た代償だ」 「やめろーっ」 絶叫し、ユシアが逃げる間もなく飛び掛かった。守ろうとするマイラを突き飛ばし、ユシアの首に手をかける。 「おまえなど、殺してやる」 首にかかった手に力が入る。手を払おうとするがびくともしない。 「殺せるか。お前自身を」 冷ややかなアシュアの声に、闇の主は手を放し、ユシアを突き飛ばした。突然、狂ったように哄笑する。 「お前は、どうなんだ」 アシュアを指さし、にらみつける。 「お前の言うとおり、このガキはわたし自身だ。わたしの魂は、二つに別れている。わたしを殺し、このガキを殺さねば、わたしは何度でも生き返るぞ。おまえにこのガキを殺せるのか」 「殺すさ。最初からユシアには言ってある」 主がぎょっとして、ユシアに目をむける。 「そっか、今がそのときなんだね。いいよ、殺して」 ユシアは覚悟を決めてアシュアに近づいた。 「なにをばかなことをっ」 主がユシアを捕まえ、揺さぶった。 「おまえは、逃げるんだ。そうすれば、またわたしは生き返ることができる」 「いやだよ、そんなの。そんな姿になってまで、力を持ってどうするの。間違ってるよ。ぼくは、こんな悪夢、終わりにしたい」 ユシアは主の手から逃れようと、じたばたともがく。 「なにを言う。力がなくてなんになる。わたしはこの力で、かつて、わたしを蔑んだ村人たちに復讐してやった。できるのは、そんなことだけじゃない。この闇の世界から、他の世界を支配しているんだぞ。わたしは闇の主として、いくつもの世界から崇められている。おまえはその力が惜しくないのか。あいつを始末したら、その分け前を与えてやる。だから、早く逃げるんだ」 「見苦しいぞ。ユシア」 それが闇の主の名前でもあることに気づき、ユシアは、闇の主を見上げた。 「その名で呼ぶなっ」 闇の主が苦痛をこめて叫ぶ。 「いつまでも、自分の造った世界にこもってなんになる。ここでは、おまえは力を持つ闇の主だ。だが、この世界を離れたら、どうなる。おまえは力を失い、これまで支配していた者たちから報復を受けるだろう。おまえはそれを恐れ、この世界からでることもできない」 アシュアが剣を抜く。 「やめろっ」 ユシアを離し、闇の主は叫んだ。とたんに渦巻く赤と黒の世界に変わる。血と闇が混ざりあい脈動し、平衡感覚がぐらついた。吐き気がおきる。 「これでも倒せるか。おまえがなんと言おうと、この世界はわたしそのものだ。世界をおまえに倒せるか」 世界全体から耳を労せんばかりの声が響く。ユシアは気分が悪くなって、揺れる地面に座り込んだ。マイラも同じようにしている。 「ううっ、気持ち悪い」 アシュアがそっと二人の肩に手を触れた。すると、光る球体が二人を包み、すいと宙に浮いた。 「そこで見てるんだ」 そう二人に言うと、アシュアは天に向かって叫ぶ。 「倒せるか、倒せないか見ているがいい」 言うやいなやアシュアは、剣を抜き放った。アルドーラから正視できないほどのまばゆい光が放たれ、闇の主に火に食い尽くされるような痛みを与えた。世界は痛みに震え咆哮し、アルドーラは鈴のような笑い声をあげる。 闇の主は、光を取り込んでしまおうと、闇で作られた津波を起こした。アシュアは剣を掲げたまま、波に飲み込まれる。今度は闇の主が勝ち誇った声を上げ、それが悲鳴に変わった。血と闇の世界に山が現れ、どんどん高くなっていく。世界の限界まで引き伸ばされ、闇の主は声の限り絶叫した。まるで妊婦の腹を食い破るかように、光が世界を切り裂き飛び出す。世界は苦痛に歪み、のた打ちまわり、やがて、動かぬ闇に戻った。アルドーラの放つ光も消える。 どこからか、子供のすすり泣きと笑い声が聞こえ、ユシアは安全な球体の中から声の主を探した。一つは大きく灰色の生き物だった。あの動く石像だ。闇の主の支配から逃れることができ、躍り上がって喜んでいる。そして、もう一つの声の主は闇の主だった。彼は力を失い、子供のように泣いていた。 ユシアたちを守っていた球体が勝手に闇の主のそばに降り立ち、消えた。アシュアが闇の主のとどめを刺そうと剣を構える。 「やめてくれっ」 闇の主はアシュアを見るなり、逃げようとし、ぶざまに転んだ。 「アルドーラが、おまえの創造した世界を粉砕した。もうここにはなにもない。おまえに力を与える安全な世界はなくなった」 「なんてことを」 それでも、闇の主は気が狂ったように両手を振りまわし、力を使おうとした。なにも起こらない。 「おまえを殺してやる、殺してやる」 アシュアに向かって喚きたて、よだれを垂らしながら飛び掛かる。銀光がひらめき、闇の主の首が音をたてて落ちた。血は吹き出さなかった。傷口が白い断片をさらす。 「なに、これ」 マイラが、動かなくなった闇の主をつま先でつつく。 「人形みたいだね」 「魔力で得た肉体だからな。ユシア、こい」 アシュアが剣をおさめてユシアを呼ぶ。 「ぼくの番だね」 覚悟していたこととはいえ、やはり怖い。 「ああ。マイラ、石にしろ」 「なんだってぇ」 マイラが大声をあげる。 「ずるいよ。自分で殺したくないから、あたしにやらせようってのっ」 「石にすれば、姿が残るだろう。そのほうがいい」 「死んだユシアを飾ろうっての。趣味わるぅ」 「マイラ」 咎めるようなアシュアの声。 「でもさ、ユシアが幻影なら、石にならないと思うよ」 どうにかやめさせようと、マイラはあれこれと言い逃れる。 「心配ない。剣で傷つくんだ。実体がないわけじゃない。さっさとやれ」 逆らいようのない声に、マイラは泣き出した。 「いやだよ。せっかく友達になったのにっ」 「早くしろ。奴が生き返るぞ」 アシュアが怒鳴る。 「いいよ。やって」 ユシアがマイラの背後に回り、ターバンに手をのばす。 「なにすんのよ」 マイラが慌てて飛びのく。 「だって、それをとれば、石になるんでしょ」 「そうよ。でも、あたしには、できないよっ」 「マイラ、聞き分けのないことを言うんじゃない。ユシア」 アシュアがマイラをしっかりと捕まえる。ユシアは、アシュアのしようとしていることに気づいて、マイラの後ろに立つ。マイラのターバンにアシュアの手がかかる。 「アシュアッ、やめてったら」 容赦なく、ターバンが外れた。長い髪がこぼれる。その中に、皺だらけの胎児の顔と手が見えた。急に光を浴びてまぶしいかのように、弱々しく小さな手を振り、全体が深紅の目を開け、途端にユシアの意識は、消え去った。
Back :
Another-Top :
Next
|
このサイトにある全ての作品の著作権はayanoに帰属します。無断転載、引用などは一切、禁じます。